この素晴らしい世界を生きるために
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一応、ふちゃぎのつもりです
言い訳をさせてもらうと、タッチパッド想像以上に描きにくい(せめてマウスが欲しかった)、消しゴムツールがないので修正ができない、まともな曲線が描けない、などの理由でこの有様です
ふちゃぎごめんなさい
実物のふちゃぎはもっともっと可愛いです
絵を再生してもらうと、どんな風に描いたかわかるのでちょっとはおもしろいと思います
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ジュゼッペのあだ名は「トリツカレ男」。
何かに夢中になると、寝ても覚めてもそればかり。
オペラ、三段跳び、サングラス集め、潮干狩り、刺繍、ハツカネズミ etc.
そんな彼が、寒い国からやってきた風船売りに恋をした。
無口な少女の名は「ペチカ」。
悲しみに凍りついた彼女の心を、ジュゼッペは、もてる技のすべてを使ってあたためようとするのだが・・・・・・。
偶然出会ったこの本に、僕もまたとりつかれてしまったみたい。
暗い灰色の空から降りてきた最初の雪の一粒のように、素敵な物語です。
「きみはばかだ。世界一のばかだ!」
ハツカネズミはガラスみたいな涙をこぼしながら、
「なんで、どうして、そんなことしなくちゃなんだい?」
まっ白い息のなかでジュゼッペはしずかに、
「しょうがないさ、おれは」
と笑った。
「ばかげた、トリツカレ男なんだから」
このブログに、「絵日記」って新機能ができたので、どんな感じか適当に落書きしてみました
注:ASIMOではありません
今日、髪を切りました
シャキシャキって、髪を切ってもらうこと
シャカシャカって、シャンプーしてもらうこと
ブオーって、髪を乾かしてもらうこと
なんであんなに気持ちいいんだろう
気持ちよくて、いつも眠たくなっちゃいます
僕の至福の時間です

ただ、すっきり髪を短くしてお店を出たら、頭がすごく寒かったです・・・。

シャキシャキって、髪を切ってもらうこと
シャカシャカって、シャンプーしてもらうこと
ブオーって、髪を乾かしてもらうこと
なんであんなに気持ちいいんだろう

気持ちよくて、いつも眠たくなっちゃいます

僕の至福の時間です


ただ、すっきり髪を短くしてお店を出たら、頭がすごく寒かったです・・・。
ここからは、「ロボット」について僕が考えること。
現在の科学技術の粋を集めてつくられたロボットたちを見ていると、僕はこう思わずにはいられません。
「僕たちにできて、このロボットたちにできないことはなんだろう?」
あるいは
「僕たちと、このロボットたちの違いはなんだろう?」
今やロボットたちは、歩くことができます。
走ることができます。
話すことができます。
表情をつくることができます。
楽器を演奏することが、絵を描くことができます。
働くことができます-もともとロボットは「労働者」の意だけれど。
考えてみてください。
もう僕たちができることのほとんどは、ロボットたちにもできるんです。
ロボットたちができて、僕たちができないことはたくさんあるけれど。
じゃあ、僕たちとロボットたちを分けるものは?
誰でもすぐに考えるのは、こんなこと。
「僕たちには『命』があり『心』があるけれど、ロボットにはない。」
でも、それは本当に本当?
この疑問に答えようとするとき、僕たちは「命」や「心」、そして「人間」について改めて考えなければいけません。
きっとそれは思っているよりもずっとずっと深いことなんです。
「ロボットとはなにか?」を考えること、それは同時に「人間とはなにか?」を考えることでもあります。
ロボットたちは、僕たちの似姿であり、僕たちの「子ども」であるとも言えるかもしれません。
あ、ちなみに僕は「人間は機械みたいで、違いなんてない」と言ってるわけではないんです。
もしかしたらそこに大差はないのかもしれない。
でも、そのわずかな違いのなかにこそ、僕たちが見つめ直さなければいけない「大事なもの」があるように僕は感じているんです
現在の科学技術の粋を集めてつくられたロボットたちを見ていると、僕はこう思わずにはいられません。
「僕たちにできて、このロボットたちにできないことはなんだろう?」
あるいは
「僕たちと、このロボットたちの違いはなんだろう?」
今やロボットたちは、歩くことができます。
走ることができます。
話すことができます。
表情をつくることができます。
楽器を演奏することが、絵を描くことができます。
働くことができます-もともとロボットは「労働者」の意だけれど。
考えてみてください。
もう僕たちができることのほとんどは、ロボットたちにもできるんです。
ロボットたちができて、僕たちができないことはたくさんあるけれど。
じゃあ、僕たちとロボットたちを分けるものは?
誰でもすぐに考えるのは、こんなこと。
「僕たちには『命』があり『心』があるけれど、ロボットにはない。」
でも、それは本当に本当?
この疑問に答えようとするとき、僕たちは「命」や「心」、そして「人間」について改めて考えなければいけません。
きっとそれは思っているよりもずっとずっと深いことなんです。
「ロボットとはなにか?」を考えること、それは同時に「人間とはなにか?」を考えることでもあります。
ロボットたちは、僕たちの似姿であり、僕たちの「子ども」であるとも言えるかもしれません。
あ、ちなみに僕は「人間は機械みたいで、違いなんてない」と言ってるわけではないんです。
もしかしたらそこに大差はないのかもしれない。
でも、そのわずかな違いのなかにこそ、僕たちが見つめ直さなければいけない「大事なもの」があるように僕は感じているんです
