この素晴らしい世界を生きるために
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シェイクスピア四大悲劇のひとつ、『オセロー』が蜷川幸雄演出で舞台に。
ヴェニス公に仕えるムーア人の将軍オセローは、若きデズデモーナを妻とし、二人は深く愛し合っている。旗手イアゴーは、自分ではなく同輩キャシオーを副官に昇進させたことで、オセローに深い恨みを抱いている。イアゴーは忠実な部下を装いながら、オセローを罠にはめるべく、デズデモーナがキャシオーと通じているとうそぶく。誠実なオセローはその策略にはまり、深く愛するがゆえにデズデモーナへの疑いを募らせ、その抑え切れない嫉妬心は妻の真実の言葉さえ信じることができなり・・・。
ひさしぶりに舞台を観たかったし、デズデモーナを蒼井優さんが演じるということもあって、チケットとっちゃいました

『オセロー』はまだ原作も読んだことないので、舞台までには読んでおかなきゃ

舞台はまだ1ヶ月先だけど、楽しみです

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「Music Lovers」というTV番組に矢井田瞳さんがでていました。
特別ファンというわけではないんですが、『Over The Distance』という曲が心に残りました。
なので、その詩を。
何にもいらない あなたに触れたい
行き場を失くした唄が胸に響く
上手く泳げないあの時の未来
どうしても遠い だけどあなたじゃなきゃ意味ない
気が付けばまたここにいる 始まりの場所 ぬくもりの声
思っていたより 甘くはないみたい
いっそ今ごと とっぱらって来て欲しい
空で唄えない小鳥の声みたい
こんなに苦しい だけどあなたじゃなきゃ
飛んで行きたい 今すぐ会いたい
自分の耳で愛してるって聞きたいの
信じていたい 守っていきたい
繋がっていたい
もちろん聴いたことはあったんです。
だから「今」、僕の心の琴線に触れた意味を考えています。
またゆっくりゆっくり大切に読みました。
そうやって読むことができました。
“失われたもの”を想って、涙がでました。
まだ涙を流すことができました。
そうして読み終えたのは、夕方というにはちょっと早い、日が傾いて光が溢れるような時間でした。
僕ははじめて、この一瞬にだけみえる色が、とても好きなのだと気づきました。
好きな人の、生の声にはものすごい力があるんだ・・・・・・と私はがく然としていた。私が思っていたよりもずっと、人の、生の反応だとか、手の感触だとか、表情だとか、声の響きに直接触れることは、すごい力を持っているんだ。
「もう決して枯らさない」
できもしない約束を私はしようとした。しかしその時、
「いいよ、枯らしても、わざとでなければ、仕方ない。また、育てればいいから。サボテンは種全体でサボテンなんだ。だから、大丈夫だよ。」
と真一郎くんはまた魔法の言葉を言った。
「どうやっても、逆立ちしても、今しかない。あまりにも苦しい気持ちになるから、人はそれに気づかないふりをしているんだと思う。(中略)
あと何回桜を見るのか、冬が来て、お正月があって、お餅を食べるのはあと何回なんだろう。数えることができるほどしかないのは確かなんだ。毎日のように顔を合わせる人たちとも、雫石とも、いつかどうにかして別れるだろう、毎日が続いていてほしいという気持ちでいっぱいになって、僕はたいていこの世のことがみんな好きなんだ。」
僕の地元では、体育の日の前後に子どもたちがちっちゃなお神輿を担いで、近所を練り歩くお祭りがあります
子どもたちは近所を一周するとお菓子がもらえるので、何度でもやるんです
おおきな声で
わっしょい!(カンカン)
わっしょい!(カンカン)
元気をだして
わっしょい!(カンカン)
わっしょい!(カンカン)
耳をすますと、子どもたちの声と拍子木の音がきこえてきます。
懐かしくて平和な午後です

子どもたちは近所を一周するとお菓子がもらえるので、何度でもやるんです

おおきな声で
わっしょい!(カンカン)
わっしょい!(カンカン)
元気をだして
わっしょい!(カンカン)
わっしょい!(カンカン)
耳をすますと、子どもたちの声と拍子木の音がきこえてきます。
懐かしくて平和な午後です

友人と銭湯にいきました
その風呂上がりに休憩所で、たまたまニュースが流れていました。
「日本に入国する外国人に対する指紋の採取と顔写真の撮影を義務化」というニュースでした。
僕は「外国人をすべて犯罪者のように扱い国が管理しようとするのはおかしい」という考えでした。
友人は「それによって少しでも外国人による犯罪などが予防され、被害にあって悲しむ人が減るならばそれはしかたない」という考えでした。
風呂上がりという最もリラックスする時間であるにも関わらず、そこから長い時間そのことについて議論しました(横道にそれたり、広がり過ぎたりもしたけど)。
「正しい」結論は出なかったし、そもそもそんなものがあるかはわかりません。
でも、だからといって意味のないことではないと思うんです。
僕も友人も自分とは違った考えに触れて、より深く考え自分を見つめ直し、関心を持てたのだから。
そういうことの積み重ねが大事なのだと、つくづく感じるのです。しかも特別な時間ではなく、日常の何気ない時間のなかであることが。
それが僕と僕の世界を育む、たしかな養分になっているんです

「日本に入国する外国人に対する指紋の採取と顔写真の撮影を義務化」というニュースでした。
僕は「外国人をすべて犯罪者のように扱い国が管理しようとするのはおかしい」という考えでした。
友人は「それによって少しでも外国人による犯罪などが予防され、被害にあって悲しむ人が減るならばそれはしかたない」という考えでした。
風呂上がりという最もリラックスする時間であるにも関わらず、そこから長い時間そのことについて議論しました(横道にそれたり、広がり過ぎたりもしたけど)。
「正しい」結論は出なかったし、そもそもそんなものがあるかはわかりません。
でも、だからといって意味のないことではないと思うんです。
僕も友人も自分とは違った考えに触れて、より深く考え自分を見つめ直し、関心を持てたのだから。
そういうことの積み重ねが大事なのだと、つくづく感じるのです。しかも特別な時間ではなく、日常の何気ない時間のなかであることが。
それが僕と僕の世界を育む、たしかな養分になっているんです
